日出づる国の片隅で。

本の話から日常の話まで

あの戦争は何だったのか

あの戦争とは言うまでもなく日中戦争から太平洋戦争に至る先の大戦のことである。当時、まともにアメリカと戦争して勝てるはずがないことは、誰もが常識としてわかっていた。ではなぜ、そんな負け戦を始めてしまうようになったのか?二・二六事件をターニングポイントとして暴走を始めた軍部が統制できなくなり、自ら戦わざるを得なくしてしまったのではないか、と。

当初、真珠湾攻撃に始まり、シンガポール攻略、マレーシア、ベトナムカンボジアインドシナ半島、さらにマッカーサーのいたフィリピンも制圧してしまう。開戦当初の占領予定地はほぼすべて手に入ったのだ。では次に取るべき行動は?そこではたと悩ませてしまったのである。この戦争の勝利とは何かを想定していなかったのだ。いつ終わりにするかをまるで考えていなかったがためにズルズルと戦争を続けてしまった。あまりにお粗末というしかない。

陸軍と海軍の対立や大本営の情報統制により現実の戦況が天皇にすら伝わらず、一億総玉砕や人間魚雷、神風特攻隊など、常識では考えられない無謀なおぞましい作戦にでるという悲惨な戦いへと続く。

そして1945年8月15日正午、天皇玉音放送がなされ、ポツダム宣言を受諾。しかしソ連は日ソ不可侵条約を一方的に破り、8月9日から侵攻を開始し、8月18日、千島列島北端・占守島に、28日に択捉島、9月4日には歯舞・色丹島を占領し、今も北方領土は返還されていない。

我々は通常この8月15日を終戦記念日と呼んでいる。が、この日は言ってみれば単に日本が一方的に「負?けた」と言っただけに過ぎない日なのだ。実際には東京湾上のミズーリ号で戦勝九カ国と日本が降伏文書に調印した9月2日、それが第二次世界大戦が終了した日なのである。そしてまた、「終戦」ではなく「敗戦」である、と。「敗戦ということを理解することから全てが始まるんだ」という東久邇宮首相の言葉こそ筋が通っている、と著者は述べる。

決して被虐的日本史観という内容ではなく、当時の政治、軍事指導者たちのあまりに無責任なハチャメチャぶりと、それに振り回されてしまった多くの国民の図は悲劇を通り越して絶望的である。現在のおバカ政治家たちに振り回されないようにしないと、ね。

<「あの戦争は何だったのか」保阪正康著 新潮新書